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   <title>歴代大統領　辞典</title>
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   <title>グロリア・アロヨ</title>
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   <published>2008-09-24T13:39:49Z</published>
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      グロリア・マカレイグ・マカパガル＝アロヨ（Gloria Macapagal-Arroyo）『フィリピン共和国の第14代大統領で2001年1月20日～大統領を務めています。第9代大統領ジョスダド・マカパガルの娘で、ジョージタウン大学に留学の経験があり、その時ビル・クリントン元米大統領と同級生になりました。フィリピン大学で経済学博士号を取得すると、大学の教員となりアサンプション大学経済学部長にまでなりましたが貿易工業省局長に就任。これは、アキノ大統領の推薦だったようです。1998年に副大統領になり、2001年エストラダ大統領に対する弾劾が成立し大統領に就任しました。長男は地元パンパンガ州選出下院議員です。』
      
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   <title>ニコラ・ポール・ステファヌ・サルコジ</title>
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   <published>2008-04-20T09:04:52Z</published>
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      ニコラ・ポール・ステファヌ・サルコジ・ド・ナジ＝ボクサ（Nicolas Paul Stéphane Sarközy de Nagy-Bocsa）『フランス第五共和政第6代大統領で、2007年5月16日～大統領を務めています。パリ大学在学中に共和国連合へ入党。翌年、市議会議員に当選しました。最下位での当選でしたが、1978年から1979年まで共和国連合青年部全国代理を務め、年から1981年まで共和国連合全国青年委員会委員長を務めるなど精力的に活動しました。「ナポレオンより背が低い」と言われるほど、フランス人にしては背が低く、2度の離婚を経験しているなど優等生的な人物ではなく、2度目の結婚ではお互い不倫を通し再婚したものの、妻に実業家と駆け落ちされてしまったのです。それでも大統領に当選。同年、2度目の離婚をしました。しかし、翌年には元トップモデルと3度目の結婚を果たすのでした。』
      
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   <title>金 大中</title>
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      金 大中（キム・デジュン）『大韓民国第15代大統領で、1998年2月25日～2003年2月24日に大統領を務めました。国会議員へ初当選して間もなく軍事クーデターが起きてしまい、当選は無効になってしまったのです。その後、野党政治家として活動し再び国会議員選挙に出馬。2期連続で当選しました。1971年の大統領選では交通事故に見せかけた暗殺工作にはめられることになり股関節を損傷し、障害を負うことになったのです。そしてその2年後、今度は東京に滞在中、韓国中央情報部によって拉致され、ソウルで軟禁状態に置かれた「金大中事件」が起こったのです。また、1976年には「民主救国宣言」を尹潽善らと共に発表したことで逮捕されましたが、2年後に釈放。その2年後に公民権を回復・政治活動を再開し、再び逮捕されました。さまざまな問題を乗り越え、1998年に第15代大統領に就任し、2000年には南北首脳会談などが評価されノーベル平和賞を受賞しました。』
      
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   <title>金 泳三</title>
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      金 泳三（キム・ヨンサム）『大韓民国第14代大統領で、1993年2月25日～1998年2月24日に大統領を務めました。最年少国会議員として政界へ進出し、ニューヨーク・タイムズからインタビューを受けたことがきっかけで国会議員除名を受けたこともある個性的な人物でした。1993年、第14代大統領に就任すると、野党政治家や政治運動家などを積極的に登用し、高級官僚の不正の追求にも力を注ぎました。その結果、警察庁長官や大法院院長などを辞任に追い込んだのです。1999年には、金浦空港でペンキ入りの卵を投げつけられた事件は有名で、金融危機を招いたことへ不満を持つ人物の仕業だったのです。常に反日的な姿勢を顕著にしていた反面、2002年に早稲田大学の特命教授に就任され、講義は日本語で行うなど日穏健派である一面も見せるようです。このことからも、韓国では批判されることもあると言います。また、日本でも一部では金 泳三を歓迎しない学生もいて、2000年に講義で高麗大学校に訪れた際に、150人余りが正門に立ちはだかり12時間もの間バリケードを作ったという出来事もありました。』
      
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   <title>ロナルド・ウィルソン・レーガン</title>
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   <published>2008-01-28T01:49:25Z</published>
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      ロナルド・ウィルソン・レーガン（Ronald Wilson Reagan）『アメリカ合衆国の第40代大統領で、1981年1月20日～1989年1月20日に大統領を務めました。歴代大統領の中で唯一離婚歴のある最年長大統領ということで話題になった人物です。ハリウッドで準トップ級の主役男優として成功した経歴を持ち、メディアの世界で人気を集めていただけに政治家になる前から知名度は高かったのです。カリフォルニア州知事を経て1968年に大統領選に出馬するも、リチャード・ニクソンを相手に敗北。1976年にはジミー・カーターに敗北し、1980年の大統領選挙で現職のカーターを破って当選しました。しかし、就任して約2ヵ月後に暗殺未遂事件に見舞われるという波乱の幕開けだったのです。ロナルド・ウィルソン・レーガン自身も被弾しましたが、心臓をかすめていたことで命に別状はなく驚異的なスピードで退院をしたのでした。人種差別問題政策やエイズ対策などさまざまな問題に取り組み、日本へも3度公式訪問しているということで、縁のある大統領でした。』
      
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   <title>リンドン・ベインズ・ジョンソン</title>
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      リンドン・ベインズ・ジョンソン（Lyndon Baines Johnson）『アメリカ合衆国の第36代大統領で、1963年11月22日～1969年1月20日に大統領を務めました。父親がテキサス州議会で5期勤めた議員だったため、父親の口利きで政界へ進出し、ワシントン立法補佐グループの議長の座を与えられたのでした。第二次世界大戦では、海軍少佐として従軍しましたが、徴兵を定める法案を決める際には、徴兵を逃れるための約束を取り付けてから法案に同意するなど卑怯な手を使う人物だったようです。戦後、上院議員に選任され、防衛費と予算効率の調査を行い結果を残したことで、全国的に注目されるようになりました。そして1960年に、ジョン・F・ケネディが大統領に就任すると副大統領候補にジョンソンを指名したのです。こうして副大統領に就任し、ケネディ大統領暗殺事件が起きた1963年、事件直後に大統領専用機の機内で大統領として宣誓しました。』
      
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   <title>リチャード・ミルハウス・ニクソン</title>
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      リチャード・ミルハウス・ニクソン（Richard Milhous Nixon）『アメリカ合衆国の第37代大統領で、1969年1月20日～1974年8月9日に大統領を務めました。第二次世界大戦中は、海軍の補給士官を務めましたが、その間にポーカーを覚え名手となり戦時中に約1000万円以上も稼いだと言われています。戦後は弁護士になり、ペプシコーラの世界進出に協力したことは有名です。その後、下院議員に選出され39歳でドワイト・D・アイゼンハワーの副大統領候補に就任。実業家で大富豪のハワード・ヒューズからニクソンが不正に献金を受けとるも、テレビを使って広まった噂を否定し、自体を一転させたのです。1960年に大統領選挙に立候補するも友好的な関係を築いていたジョン・F・ケネディと戦うことになりました。ケネディ陣営は大掛かりな不正を行っていたと言います。しかし、現在では明らかにされていますが、当時は国家の名誉を汚すことになるという理由から、事実を伏せていたようです。大接戦の末、敗北し1968年に再び出馬。第37代大統領に就任したのです。』
      
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   <title>ヨハネス・ラウ</title>
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      ヨハネス・ラウ（Johannes Rau）『ドイツ連邦共和国第8代大統領で、1999年7月1日～2004年6月30日に大統領を務めました。出版関係の仕事から政治家になった人物で、社会主義青年団の地区代表に就任し、州議会議員、党議員団代表、ヴッパータール市長を経て1999年に第8代大統領に就任しました。「対立ではなく和解を」という信念に基づいた政策で、率直な意見を言う大統領として注目されました。国家元首として76回の外遊を行うなど国際的にも活動し、日本には2002 FIFAワールドカップ観戦を兼ねて来訪しました。ヨハネス・ラウは、プロテスタント一家に育ち、学校があまり好きではなかったことから、父親の勧めで中等教育機関を中退し、出版会社に見習いとして就職したのです。大統領退任後は教育や貧困救済などに関する栄誉職に就き、財団も創設しています。在任中から腹部大動脈瘤を患うなど、体の調子は思わしくなく、退任後にも心臓の手術を受けるなどしていましたが、2006年に死去。ベルリン大聖堂で国葬が行われました。』
      
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   <title>ユリシーズ・グラント</title>
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      ユリシーズ・グラント（Ulysses Simpson Grant）『アメリカ合衆国の第18代大統領で、1869年3月4日～1877年3月4日まで大統領を務めました。もともとは和平主義者だったのですが、インディアン戦争において従わない部族は絶滅させるという姿勢をとり、インディアン諸部族とさまざまな条約を結んだのですが次々に白人側によって破られ、和平案は崩れていったのでした。その後、1868年の大統領選挙では黒人の支持を多く集めて選任されたのですが、数々のスキャンダルと汚職で一気に人気は低迷していったのです。莫大な連邦政府の税金を使った「ウイスキー汚職事件」では、個人補佐官が不正に関与していたにも関わらず大統領の恩赦で無罪にし、次に陸軍省長官が賄賂を受け取るという事件が起こりましたが、これも見て見ぬふりをするように強い罰を与えなかったのです。このようなことから、アメリカ最悪の大統領のうちの1人としての扱いを受けるようになったようです。』
      
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   <title>マーティン・ヴァン・ビューレン</title>
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   <published>2008-01-28T01:48:23Z</published>
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      マーティン・ヴァン・ビューレン（Martin Van Buren）『アメリカ合衆国の第8代大統領で、1837年3月4日～1841年3月4日まで大統領を務めました。ニューヨーク州議員、上院議員を経て州知事となり、前任のアンドリュー・ジャクソンに力を貸したということで国務長官に就任。その後副大統領を務め、第8代大統領となったのです。しかし、贅沢が好きで、1837年に大恐慌が起こった際にも対策を取らず、国民の支持を得ることはなかった人物です。マーティン・ヴァン・ビューレンは、コモン・スクールやキンダーフック・アカデミーで教育を受け、弁護士の道を歩んでいました。そこで財を成し、政界へと進出して行ったのです。大統領の任期を終えると故郷へ帰り、ホワイトハウスへの復帰を試みるも票を集めることはできず、その後も「バーンバーナー」、「自由土地党」の2つの党から指名されるも選挙人団投票で勝利を得ることはありませんでした。1861年に肺炎になり、翌年自宅で死去しました。』
      
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   <title>ボリス・ニコライェヴィチ・エリツィン</title>
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      ボリス・ニコライェヴィチ・エリツィン（Boris Nikolayevich Yeltsin）『ロシア連邦の初代大統領で、1991年11月6日～1992年6月15日に大統領を務めました。ゴルバチョフ政権が発足されるとソ連共産党政治局員候補兼中央委員会書記に就任し、改革派として活動していました。そして、1991年にロシア共和国の大統領に就任。12月31日に独立国家共同体樹立を宣言したことでソ連は解体し、ボリス・ニコライェヴィチ・エリツィンは引き続きロシア連邦の大統領を続投したのです。最高会議と人民代議員大会を強制解体したことで、最高会議ビルを戦車で砲撃するなど両社の対立は悪化し、新しいロシア連邦憲法を制定することになりました。ボリス・ニコライェヴィチ・エリツィンは、テレビカメラの前で若者と一緒にダンスを披露し、その後、心臓発作を起こしたと言う有名な話があり、この時の写真はピューリッツァー賞の特集写真部門を受賞したそうです。』
      
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   <title>フランソワ・モリス・アドリヤン・マリ・ミッテラン</title>
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      フランソワ・モリス・アドリヤン・マリ・ミッテラン（François Maurice Adrien Marie Mitterrand）『フランス共和国の第4代大統領で、1981年5月10日～1995年5月17日に大統領を務めました。ヴィシー政権下で献身的に働いたことが認められ、勲章を授与されましたが同年、地下運動を始めロンドンに逃亡したのです。その後、国民議会議員に選出され、植民地相、国務相、法相などを歴任し、1965年に大統領選挙出馬しますが敗北しました。その後、ド・ゴール大統領の急死に伴い行われた大統領選挙にも勝つことはできず、1981年に第4代大統領に就任しました。社会主義的政策を取りましたが、インフレの進行に影響され、自由主義的政策に移行して行ったのでした。フランソワ・モリス・アドリヤン・マリ・ミッテランは、第二次世界大戦中、ドイツ軍の捕虜になりましたが逃走に成功し、フランスに帰還した経験を持っています。』
      
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   <title>フランクリン・ルーズベルト</title>
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      フランクリン・ルーズベルト（Franklin Delano Roosevelt）『アメリカ合衆国の第32代大統領で、1933年3月4日～1945年4月12日に大統領を務めました。第26代大統領のセオドア・ルーズベルトは従兄弟にあたり、後にその姪と結婚をしています。ニューヨーク州議会の上院議員に選任され、海軍次官、ニューヨーク州知事を歴任し、1933年に第32代大統領に就任しました。その就任直後、暗殺されそうになり、その暗殺者はその後シカゴ市長アントン・J・サーマクを殺害したのです。フランクリン・ルーズベルトは父が鉄道の副社長という裕福な地主の家に生まれ、学校には通わずに家庭教師から教育を受けたと言います。その後、名門校への受験に合格し入学したのですが、それまで家族や家庭教師以外の人間と交わることがほとんどなかったことで、寄宿舎生活には馴染めなかったようです。しかし、ハーバード大学とコロンビア大学ロースクールに通う頃には、学内紙の編集長を務めるなど活発に活動する人物になったのでした。』
      
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   <title>ハリー・S・トルーマン</title>
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      ハリー・S・トルーマン（Harry S. Truman）『アメリカ合衆国の第33代大統領で、1945年4月12日～1953年1月20日に大統領を務めました。第一次世界大戦で州兵に参加し士官に就任、その後、ジャクソン郡の裁判官に選任され、上院議員へ選任されるまでになりました。そして「トルーマン委員会」を設立したことで全国的にその名を広めることとなったのです。第32代大統領フランクリン・ルーズベルトから直接、副大統領への指名を受け、就任しました。その後、フランクリン・ルーズベルトの死去に伴い第33代大統領に昇格したのです。第二次世界大戦で日本へ原子爆弾投下を指示したのはハリー・S・トルーマンで、その他の議員達は皆、反対したと言われています。その反対を押し切るために自国の議員よりも先にソ連に知らせたそうです。大統領を退任した後はミズーリ州インデペンデンスの自宅で暮らしましたが、バスルームで転倒し半身不随となりました。』
      
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   <title>ハーバート・クラーク・フーヴァー</title>
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   <published>2008-01-28T01:47:20Z</published>
   <updated>2008-01-31T09:08:29Z</updated>
   
   <summary>ハーバート・クラーク・フーヴァー（Herbert Clark Hoover）『ア...</summary>
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      ハーバート・クラーク・フーヴァー（Herbert Clark Hoover）『アメリカ合衆国の第31代大統領で、1929年3月4日～1933年3月4日に大統領を務めました。スタンフォード大学在学中にクリーニング屋や講義仲介業を経営し、他にもフットボールチームや野球チームを運営していたことで注目を集める学生でした。卒業後は鉱山技師になり、一時、義和団に拘束されたこともありました。その後、第31代大統領に就任すると世界恐慌が起きてしまいました。対応に追われる中、「フーヴァーモラトリアム」を提案。結果的には景気をさらに悪化させることになってしまい、有効な政策が取れないまま任期満了を迎え退任したのです。退任後は、スタンフォード大学に「フーヴァー研究所」を創設し、ホワイトハウスへの復帰を試みるも失敗。第二次世界大戦後、トルーマン大統領に指名され日本やドイツに食料状況視察に行きました。そして、マッカーサーなどに食糧援助を進言したのでした。』
      
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